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よくある質問
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Q1:日比谷健次郎の子孫はいるのですか?東京都足立区を中心に、今も多くの子孫がいます。
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Q2:「郷士」とは何ですか?郷士(ごうし)とは、在郷の武士のことです。とくに江戸近郊の郷士は、江戸時代はじめには武士身分で新田開発や代官の家臣となっており、家の領地も公認されていました。中頃には農民身分となりますが、幕末期になると、ふたたび武士身分を併せもつようになりました。
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Q3:今の千代田区・日比谷公園と関係があるのですか?日比谷家は徳川家康の江戸入府以前から江戸にいた郷士です。現在の千代田区日比谷付近よりも、日比谷村はかなり南のほう(現在の港区愛宕~芝・東京タワーあたり)にあったようです。日比谷家は家康が江戸に入る頃に、日比谷村から小右衛門新田(現在の東京都足立区)へ移動させられたと伝わっています。 日比谷公園はかなり後の時代になって、皇居の日比谷門あたりから名前がつけられたと思われます。
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Q4:日比谷という名前の由来は?日比谷公園での解説には、江戸時代の海苔の養殖の道具「ヒビ」から日比谷になったとあります。 しかし、これは全く正しくありません。日比谷村は記述によると、江戸時代より前、室町時代には既に存在していたと思われます。 日比谷村が先なのか、日比谷氏が先なのかはわかりませんが、いずれにしろ、名前の由来はもっと以前の時代と思われ、残念ながら資料はありません。
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Q5:日比谷家の資料や美術品はどこで鑑賞できますか?このホームページに掲載している資料・美術品の大半は、足立区立郷土博物館へ寄託しています。 令和二年(2020年)十一月より、同博物館主催による文化遺産調査特別展「名家のかがやき」 https://www.city.adachi.tokyo.jp/hakubutsukan/2020meika-no-kagayaki.html において、日比谷家の資料が多数展示、紹介されました。 展示資料等につきましては、足立区立郷土博物館へお問い合わせください。
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Q6:日比谷家には健次郎のほかに活躍した人はいますか?明治期に「日本紡績界の巨人」と称された日比谷平左衛門は日比谷家の一族で、文化初年(19世紀初頭)に足立を出て江戸に移った縁戚です。 平左衛門は明治・大正期に富士紡や鐘紡の設立に関わり、東京商業会議所副会頭を務めたほか、第一生命保険、九州水力電気などの設立・経営にも携わりました。渋沢栄一の渡米実業団の随行者として、アメリカにも渡っています。このように立志伝中の人物として、多数の書物で紹介されています。
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Q7:健次郎と交流があった有名人は誰ですか?勝海舟、中村正直、新選組の近藤勇・土方歳三、幕末の鬼才といわれた三浦乾也のほか、絵師の石井鼎湖や鈴木鵞湖とは親戚でした。 また、日本にやってきた外国人とも交流がありました。ヘボン式ローマ字を作った米国人宣教師ジェームス・カーティス・ヘボン、横浜共立学園の前身である「共立女学校」の設立に関わった女性宣教師ジュリア・クロスビー等が挙げられます。
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Q8:日比谷家の屋敷跡はどこですか?足立区中央本町にあります。屋敷の石垣の一部が、MEGAドン・キホーテ 環七梅島店に使われています。ドン・キホーテ 環七梅島店自体が、江戸時代から続く屋敷の一部に建っています。 ※お江戸系ユーチューバー・堀口芙純さんが、屋敷跡を訪ねた動画はこちら。 ◆2021年足立区広報番組1月放送 「名家のかがやき 江戸の美ここに極まれり 後編」 https://www.youtube.com/watch?v=hj6a9ZX5dFc
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Q9:日比谷健次郎のお墓はありますか?日比谷家代々の墓所は、東京都足立区島根にある日蓮宗の寺院「国土安穏寺(こくどあんのんじ)」にありますが、現在は先祖代々がまとまっており、単独のお墓ではありません。
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Q10:日比谷健次郎についてもっと知りたい本サイトの情報のほか、健次郎を題材とした作品に穂高健一著『紅紫の館』(発行:2020年12月)があります。 足立区立郷土博物館が開催した文化遺産調査特別展「名家のかがやき」の解説本(全80ページ)もおすすめです。 足立区広報番組で放映された、こちらの動画もぜひご覧ください。 ◆2021年足立区広報番組1月放送 「名家のかがやき 江戸の美ここに極まれり 後編」 https://www.youtube.com/watch?v=hj6a9ZX5dFc
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