【狩野則信 作】かのうのりのぶ
【紙本着色 一幅】
【明治元年(1868年)頃】
《日比谷美津像》と同じく、狩野則信による肖像画。
日比谷健次郎の妻・晁の実父であり、健次郎が本邦最初の和独辞書『和獨對譯字林(わどくたいやくじりん) 』を出版するに際して、共に出版人となった加藤翠渓 (1818年~1895年)の像である。
加藤家は名字帯刀を許され、代々戸ヶ崎村(とがさきむら/現埼玉県三郷市)の名主役を務めた豪農、郷士であった。
それを示すためか、加藤家の家紋の入った羽織姿の翠渓の左には脇差が添えられ、文にも優れた人物であったことを表すためか、周囲には書が配置されている。
健次郎が親族の肖像を作ることを計画し、美津像と共に依頼したものと推測される。
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